戦人×霧江

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明日夢が死に、私は書類上でも留弗夫さんの妻となる事が出来た。

間もなく、お腹に宿った彼の子どもが生まれる。私は幸せの絶頂──というはずだったのだが、まだ一点の曇りが残っていた。

それが、明日夢の忘れ形見、右代宮戦人。

私たちの前にはいつも彼の影がちらつく。

戦人くんは、明日夢さんが亡くなった後すぐに私と籍を入れた留弗夫さんが許せなかったらしく、自分から家を出て行った。

私にとっては都合のいいことだが、留弗夫さんはそうでもないらしい。

留弗夫さんは戦人くんをこの家に戻らせ、四人で暮らすことを夢見ているようだ。

全く迷惑な話だと思う。彼ももう、自分で分別を付けられる歳だろうに……。




「戦人くん、注文決まった?」

「はい。……じゃあ、これで。いやぁ、でもいいんですか?こんな見るからに高級そうな店で、御馳走してもらっちゃうなんて〜。」

「いいのよ。遠慮しないで。」

……あら。この料理……。

縁寿が生まれてから一年後。戦人くんの「縁寿に会いたい」という発言を皮切りに、少しずつ、彼と顔を合わせる機会が増えていった。

彼は言う、縁寿に罪はないと。
一年ぶりに再会した時、私のことは許せない部分もあると彼は宣言した。
しかし、戦人くんは私が被害者であるという認識が強いようで、私に以前と同じような態度で接しようと頑張っていた──時折寂しそうな目をしながら。

そんな戦人くんの仕草や表情、一つ一つに明日夢の影が見え、そして我が子が重なり、私は終わらない憎悪に胸を焦がしていた。

今日も、都内レストランで戦人くんとの会合をしていた。この行事はもう数年続いている。

戦人くんは学校で起こったことやミステリー談義、チェスについて楽しそうに話している。
いつもの通り、意識的に家庭の話題は避けているようだ。

私も同じくお話に付き合っているのだが、どうも最近気になることがある。

戦人くんの態度の違和感だ。

例えば、私をちらちらと見ていること。その目つき。目が合うと慌てて誤魔化すこと。

彼から目線を背けると、私の視界の隅へ映り込んでいることも知らずに、じっと見つめてくること。

ほら、今も……。

「……何?私の顔、何かついてる……?」

「え?!そ、そんなことは!ただ考え事をしてただけっすよ〜、いひひひひ…」

「考え事ねぇ。ふふっ。何を考えてたのかしら」

「いっひっひ〜、健全な青少年には考えることが沢山あるんですよ〜!」

「ふぅん?あんまり泣かせないのよ、女の子。」

「違……ッ、いやはは、勘弁して下さいよ霧江さん…

…そういえばこれ滅茶苦茶美味いっすね!」

私がからかうと、戦人くんは赤い顔を更に真っ赤にして、無理やりに話題を変えてしまった。明らかに動揺しながら。

…あらあら。もしかして、戦人くん……。

料理を食べた後は、戦人くんを駅まで送ってから、迎えに来た留弗夫さんの車に向かった。

助手席に座ると、彼の香水の香りが鼻腔をくすぐった。彼は平静を装っているが、どこかそわそわしていた。戦人くんのことがとても気になっているみたい。だから、私はそれとなく、彼の子どもについての話題を出してあげた。

「ねえ。……親子で、好みって似るのかしらね?」

ハンドルを握る彼の人差し指が、トン、と跳ねる。

「何だよ、何の話だ」

「戦人くん、あなたの好きな料理を注文したのよ。こんなに美味しいの、初めて食べたって言ってたわ」

「へえ、あの店はあいつにはまだ早ぇと思ったんだけどな」

留弗夫さんは素っ気なく言ったつもりだろうが、私は彼の口元にうっすらと笑みが浮かんだことに気付いている。

「あら、戦人くんももう高校生。立派な歳よ」

「いやァ。俺にとっちゃあまだまだ赤ん坊みたいなもんだぜ」

「そうね、まだまだ子どもだけど。それはあなただって同じよ?くすくす」

「子どもねぇ。楽しみにしとけ、もう二度とそんなこと言えないようにしてやるからよ…」

「そう、じゃあ楽しみにしてるわ」

私は嬉しそうな留弗夫さんに煙草を渡し、火をつけてあげる。

この前彼は、外車に変えようかと呟いていたけど、私は嫌だわ。

ハンドルを握る、ギアを動かす、彼の左手が見えにくくなるから。

ある日の事。留弗夫さんが出張で不在だったので、縁寿を含めた3人での会合の帰り、彼へ家に来ないかと誘ってみた。

戦人くんは複雑な表情をしたが、私の提案に縁寿は大喜びで、彼の手を握ってもう離そうとしない。
誰でも、子どもにお願いされては断れないものだ。彼は私の誘いを承諾した。

私が扉を開け、家へ招き入れると、戦人くんは玄関へ足を踏み入れながら、しきりに目をきょろきょろと動かしていた。

当然だ。明日夢が存命していたころとは、インテリアが全く違うのだから。

私がこの家に入ってからは、明日夢の痕跡は全て消した。家電に家具、小物や芳香剤に至るまで、留弗夫さんと選んだ物がぎっしりと詰まっている。
その中で、戦人くんの部屋のみが、明日夢が存命していた時のまま残されている。

この家には、彼の知らない一つの家族が生きているのだ。
楽しそうに「自分の家」を紹介して回る縁寿を見て、彼の心に湧きあがる疎外感を思うと、私は晴れやかな気持ちを感じずにはいられなかった。

食卓に案内し、夕ご飯を御馳走した後も、縁寿は戦人くんと談笑していた。もちろん、私もその輪の中に入っているが、話の中心にはずっと縁寿が居た。
この子は「自分の家での」体験や、好きな事を戦人くんに教えることに夢中になっていた。そのほかは、戦人くんが簡単な論理クイズを縁寿に出題したり、解答並びに解説を行ったりしていた。縁寿はどうやら感銘を受けているようだった。
我が子は本当に戦人くんが好きなのだった。

縁寿は次に、私と戦人くんのチェス対決が見たいとリクエストした。
私たちはゲーム盤の準備に取りかかったが、縁寿はあっという間に睡魔に取りつかれ、観覧席で船をこぎ始めていた。縁寿の意思を尊重して、今日は夜更かしを許していたのだ。
時計を見ると、縁寿の就寝時間を一時間半も過ぎている。もう限界だろう。

「縁寿、大丈夫?自分で寝る支度、出来る?」

「うー……。お母さん……。」

「ほら、立って。ベッドに行きましょう」

「…お兄ちゃんと、もっと……お話……」

縁寿は意識を保つのがやっとという様子だが、戦人くんに弱弱しくしがみついた。

……こういうところは私譲りというわけね。

血のつながりを感じながら、縁寿の手を引くとあっさりと戦人くんから離れた。この子が倒れる前に洗顔や歯磨きをさせなければならない。

「ごめんね。縁寿を寝かしつけてくるわ。お茶が切れちゃったわね……沢山話してくれたから、喉乾いたでしょう。コップはキッチンの棚にあるから、好きな物を飲んでいて…」

「了解っす。俺が無理させちまったかな…」

「そんなことないわ。縁寿は喜んでた。戦人くんの事が大好きみたいね」

「そうっすか。女の子に好かれるってのは嬉しいもんだぜ〜。いっひっひ」

「くすくす。悪いわね、冷蔵庫にあるもの、何でも飲んでいいから」

得意の軽口に一笑した後、私は縁寿を立たせ、洗面所へと向かった。

やっと着替えまでを済ませ、縁寿をベッドに寝かせると、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。カーテンが僅かに開いていることに気付き、手を伸ばした時、差し込んだ月明かりが一つの写真を照らし出していることに気付いた。縁寿がベッドサイドに置いている宝物、一家三人と戦人くんの写った写真立てに、光がうっすらと反射していたのだ。写真を傾け、私は明日夢の子の元へと戻る事にした。

階段を下り、客間の扉を開けた途端に、私は眉をひそめた。強いアルコールの匂いが鼻をついたからだ。

戦人くんはソファーに体を完全に預け、だらりと足と片手を投げ出していた。残った手にはコップが握られており、彼はおもむろに喉を鳴らして中身を飲みほした。

どうやら、誤って留弗夫さんのお酒を飲んでしまっているようだ。しかも外国の、かなり強そうなモノを。

余談だが、留弗夫さんはあまり酒癖が良くない。そのせいで勘違いする女が多く、私は苦労してきたわけだが……。とにかく、飲酒を止めるために、私は彼に近づいていった。

「戦人くんったら。ジュースと間違っちゃったの?」

「……。」

戦人くんは鈍重に顔をあげ、焦点のおぼつかない、うつろな、どろりとした目を向けてきた。その顔は、耳まで真っ赤だ。

「くすくす。これ、お酒よ。戦人くんは初めて?

留弗夫さん、こういうボトル好きだからね。ジュースと間違っちゃうのも仕方ないわ。このことは内緒にし───」

戦人くんの真っ赤な顔がおかしくて、笑いながらグラスを取り上げようとした時、

鈍い音とともに、突如視界が暗転した。

「んっ……?」

戦人くんの顔が、すぐ前に有った。私の頭や背中は床に押し付けられ、痛みを訴えていた。

零れたワインが、じっとりと服を濡らしている。

私は状況を理解した。どうやら、戦人くんに押し倒されたらしい。

酔っている癖に、見た事のないほど真剣な顔つきをした戦人くんの、温かい息が頬のラインをくすぐってくる。

「…痛いわ…。何のつもりなの…」

「好きです」

「……」

分かっていたことだ。私の心は平静のままだ。

しかし、……なぜか、胸の奥を抉られるような感覚が走った。

そんなことに気付くはずもなく、戦人くんは私に覆いかぶさったまま絞り出すような声で話し始めた。

「霧江さん。俺、俺……。霧江さんが好きなんだ。昔からずっと特別だったんだ。母さんの時は、あの時は本当に腹が立った、今でもそうだ!でも、やっぱり駄目だ。あんな男見るなよ!霧江さんが好きだ、もう我慢するのは嫌だ…!」

一気にまくし立てて、戦人くんははぁっ、と大きく息を吐いた。

そして、あの女に似た目で、私の目を見つめるのだ……。寒気がした。

「…冗談も、……。」

彼を本気で突き飛ばそうとした時、私は、ある天の啓示を聞いた──。

それは、ある考えだった。

私の抵抗が一瞬止んだのを見て、戦人くんは私の体に手を伸ばし、ぎこちなく触り始めた。

「霧江さん…ッ、俺……」

「嫌よ……。嫌、やめてってば……」

私は行為を拒否する言葉を繰り返し続ける。不自然なくらいに。留弗夫さんは、酔い過ぎると記憶が飛んでしまうことがあるから、このくらい言ってあげた方が丁度いいのだ。

彼は、嫌がる私を無理やり犯した。その事実を、彼の頭に刻みつけるには。

──これは明日夢への贈り物だ。最初で、最後の。

首筋のあたりに息がかかってくすぐったく、私は小さく声をあげた。戦人くんは私の声を聞いて興奮したのか、息を荒げながら胸を食んできた。それから荒っぽく舌で弄ってくるので、少しだけ甘い声が出てしまった。

「んッ。……ば、戦人、くん、ぁ……。」

明日夢の子どもが私のおっぱいを吸ってる……。

口元が歪むのを抑えきれなかったが、戦人くんは私の表情を見る余裕なんかないみたいだ。

彼が不慣れな事に気づいたら、もっとおかしくなって、大笑いしたくてたまらなくなった…。

……明日夢さん、あなたの子ども、取っちゃった。

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