※絵羽の話。
勝手な解釈があります。厨二とゲロカス妄想にご注意。

 

し ろ い へ や

 


「ん…。」

右代宮絵羽は、自室で目を覚ました。

その視界は白く靄がかかったようにぼやけていた。
例えるなら、部屋いっぱいに満ちた弱い光に、目がくらみ続けているような感覚。
でも眩しくはないから、全く不快ではない。
彼女をベッドの上にひきとめようとする毛布のあたたかさと心地よいまどろみに別れを告げ
絵羽は起き上がろうとしたが、即座に異常に気付いた。体が鉛のように、這うことも不可能なほどに重いのだ。
震える手でシーツを握るのがやっとな程である。

あれ、動かないわ、体。なぜ?私どうしちゃったの??
漠然とこみ上げてきた恐怖に呻くと、台所のほうから声が聞こえてきた。
「起きたか絵羽?風邪こじらせたんや、無理するな…今日はわしらが朝食作るから、寝ててええんやで」

あ…秀吉さん…。秀吉さんがいるなら、大丈夫だわ───。

最愛の夫の声に、私は恐怖が、柔らかに消え去っていくのを感じる。
ことこと。ことこと。相変わらずの淡い光の中、ベッドに横たわる私、台所から聞こえる、お鍋の音。
この時間に、私は 久しぶり の 安堵を感じた。そのまま眠りに落ちそうなほどに。


ああ。でもおなか減ってないのよ。ただの風邪なんでしょう。だから気にしなくていいのよ。私のことなんて。

ドアが開けられ、二人分の足音が私に近づいてくる。
昔、和風が好きな秀吉が買ってきた漆塗りのお盆に載せられやってきたのは、絵羽の想像通りおかゆだった。
ゆらゆらと上がる湯気の元で、水にひたされた米粒がひとつひとつ光を反射して輝く。

絵羽は目を細めて、二人が作ってくれた料理を見つめた。

最高に美味しそうね。これだったら食べられるかもしれないわ。

「母さんの口に合うか不安だけど」
「ほら絵羽、起こすでぇ」
秀吉が動けない絵羽の体を起こし、ベッドに寄りかかる形で座らせる。
絵羽はただぼんやりと、この幸せに酔いしれていた。
「口開けて、母さん。」
私を心配する心やさしい譲治。
「わしと譲治の渾身の合作や。ほれ、あーん」
相変わらず大げさで、でも頼もしい秀吉さん。
さじに掬われたおかゆを私は口に含み、こぼさないようにゆっくりと味わう。
きっとこの料理が、どんなにお金を積んでも食べられない、世界で一番美味しい料理だと、そんな事を考えながら。

秀吉さん。譲治。ありがとう。すごく嬉しい…。あなた達に出会えて、よかった…。
くす、随分、久しぶりの食事って気がするわ。
思えばこうしてあなた達に会うのも、なんだか不思議なの。どうしてかしらね。私たち、毎日一緒にいるのに。
そういえばあなた、お仕事は?
譲治、学校は?今日、日曜日?ここ、ここは私の部屋。私の部屋、だけど──。

「私たちの家はもう何年も前に壊
あああ、駄目よ思い出しては!!!いやよ、戻りたくないぃいい!!!」
叫びながらも、私は違和感の奔流を止められなかった。
薄れゆく世界の中、最後に見た秀吉さんと譲治は、にっこりと笑って、


胸から赤黒い血を不規則なリズムで噴き出しながら崩れた。

 

 

そして、巨大企業、右代宮グループの会長である右代宮絵羽は、
高級マンションの最上階──薄暗い自室で目を覚ました。

 

 

「うぐぉえええ、うえええ…ッ」
よたよたと弱った足腰を引きずって洗面所まで辿りつき、そこで絵羽は激しく嘔吐した。
ただでさえ食欲がわかず、更に多忙な毎日を過ごす絵羽は、あまり食事をとらない。当然のことながら、料理なんてとうの昔にしなくなった。
ましてそれは早朝だった、胃は空っぽで、乾燥した唇からは青みがかった胃液が吐き出された。
嘔吐感が止まらない、でも吐くものは残っていないらしく、何度えずいても喉がげえげえと汚い音をあげるだけで何も出てきてくれなかった。排水溝へとなかなか流れてくれない泡立った唾に苛立ち乱暴に蛇口をひねった。洗面所に立ち込める酸っぱい香り。ただただ胸を支配する不快感。不快感。生理的な涙が目じりにうっすらと浮かんでいた。
荒い息を繰り返しながら、光を宿さなくなって久しい瞳で流れていく水を見つめていた絵羽は、はっと我に返る。


これ、ひ、秀吉さんと譲治が一生懸命作ってくれたおかゆだったのよ、夢だったけど、夢だったけど、
美味しかった、美味しかった、食べなきゃ。吐いてしまった。私はなんてことを。食べなきゃぁ…。
やせ衰え、骨の浮き出た腕で夫と息子の残骸を求めて排水溝を必死でかいても、もうそこには水しか無かった。
「うぅ。うっ。ううううううぁあ…」
絵羽はがくりと崩れ落ちた。掠れ、しわがれた声が哀れな老婆の喉をついて零れた。

「うっく、えっく、あなたぁ、譲治ぃ…。助けて、助けて、助けて助けて…」
声を殺して絵羽は号泣する。
勿論、この部屋には誰もいない。だが、フロア内別室に常に護衛が待機しているため、プライドの高い絵羽は気づかれることを恐れ思い切り泣くこともできないのだ。
もしその悲痛な声が護衛に聞こえていたとしても、性悪の老いぼれがついにボケたと、冷笑のネタにしかならなかっただろうが。

 

 

「絵羽。」


薄闇に、やけにはっきりした少女の声が響いた。

「大丈夫よ。私たちは間違っていないわ。金蔵は私たちをきっと認めてくれた。

原初の夢をかなえたのよ。私たちは幸せよ。
そののちにあなたが夢を増やした、権利書を買い戻し、次に天草を解雇。
秀吉さんの会社を吸収しようとした企業を買収、縁寿を守るために聖ルチーアへ。
私たちは縁寿のために未来永劫真相を隠す。
もっと右代宮を大きくしましょう。もっともっともっと!すべてが正しい判断よ、絵羽。
私は、幸せだわ。あなたが私を忘れないでいてくれて嬉しい…。」
「…本当…っ。私、間違っていない…?絵羽ぁ…。」
「…だから私の事、離さないでね」


たった一人の彼女を支えるその少女は、彼女の傍を離れて踊る、黒い魔女ではない。
いや、黒い魔女など、もともと存在しなかった。
戴冠式を受け、無限の世界で千年を生きる魔女は、彼女であり彼女ではない。
彼女は魔女であったが、彼女自身に千年などという長い時を生きる力はないのだ。

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右代宮絵羽はこの後心臓の不調により入院。絵羽にとってそれは珍しいことではない。


彼女は晩年――12年もの間、入退院を繰り返した。
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右代宮絵羽は黄金を見つけていない。巨大な財は黄金ではなく、彼女の憎悪した兄、蔵臼が生前しかけたビジネスが成功し、流れ込んできたものだった。
事件から数ヶ月、後に"右代宮蔵書"と呼ばれる書物をオークションへと出品する程の経済的な困窮に直面していた絵羽は、その時"初めて兄に助けられた"と呟くと涙した。
そして更に数ヶ月後親族の保険金を手に入れ、その莫大なカネを利用して絵羽は経済界に参入していく…。
マスコミが彼女の人生をいかに歪曲して報道したかはここでは省略する。
右代宮絵羽は誰も信じられない地獄で自分のみを頼りにしながら(時には宗教にものめりこんだが)、たった一人でその生涯を終えた。


そして、黄金を手にした疑惑の女王は輝かしくこの世を去る。
安らかに眠れ、右代宮家のたった一人の生き残り、右代宮絵羽。
生涯において彼女を支えたたった一人の味方、右代宮絵羽と共に。

 


さぁ、一体、誰が彼女を助けられたのだろう。
四代目の魔女が見た黒き魔女とは一体何だったのだろう。

 

果たして少女達の魔法は、間違ったものだったのだろうか?






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