25年くらい前の六軒島、楼座と夏妃と絵羽の話。
***************************



蝉の一種は七年を土の中でさなぎとして過ごし、その後一週間だけないてないて、命を燃やすらしい。
何のためかといえば、”また七年後の夏にこどもを託すため”だと言う。
その話をはじめて聞いた時。幼い私は理解できず首を傾げるほかなかった。
そんな一生に意味はあるのか。

(ああでも…七年間もゆっくりと眠れるのね)

目覚めたときには彼らは立派な大人になれているの?


『 一週間の続きを 』


楼座は弾かれたようにソファから立ち上がると、急いで色鉛筆をかき集め
大嫌いな兄や姉と目が合わないように床とにらめっこしながらリビングを出ました。
なぜなら、兄さんや姉さんが楼座の近くで口論を始めると十中八九彼女に嫌がらせや八つ当たりが飛び火するからです。
楼座は小さいながらにそれを悲しいほどに熟知していました。だからさっきも、以前のようにはしたない子と罵られないように、
しずしずと優雅に歩いたつもりなのです。

少女はドアを閉めて一呼吸、耳を澄まし、兄たちの喧嘩が少しも変わらず続いていることを確認してほっと胸をなで下ろし
広いお家の廊下を歩き出しました。
呼吸をする度に息は白い雲になりゆっくりと消えていきます。少女にも何枚あるかわからない無数の窓には露がはりついていましたが
やはり屋敷の冬は寒く、楼座は暖をとりつつリビングでしていたお絵かきの続きをしようと適当な部屋に駆け込みました。

暖炉には火がついていました、その殺風景な部屋はとても暖かく少女の冷えたからだを慰めてくれました…が、
一人静かに窓辺に座りの降る雪を見つめている後ろ姿があったので楼座は少しだけ怯えました。

「あ…夏妃姉さん?」
瞬間、女性は小さく身を震わせ振り返り。声の主が楼座だったことがわかるとなぜか安堵の表情を浮かべます。

「…こんにちは楼座さん、こんな所へどうしたんですか」
「兄さんと姉さんがお話を始めたから楼座はここでお絵かきをするの」
「そう…お話、を…」
いったとたんに夏妃姉さんの声が曇ったので私はどうしてか慌ててしまい。
「え、あ、ええと…楼座のお絵かき見て!」


楼座が真っ白なページに色鉛筆を滑らすのを夏妃はじっと見ていました。
楼座はひとつ色を塗り重ねるたびに夏妃の方をちらちらと気恥ずかしそうに伺います。しかし本当は嬉しいのです。
絵にはまず、少女自身であろう女の子がえがかれ、続いて隣に鮮やかな花を抱いた女性が描かれました。

それを見て、ふいに夏妃が聞きます。
「それは…楼座さんと、どなた?」
「お母さまよ!

…お母さまとはもう会えないけど、ずっと隣にいるんだと熊沢さんと源次さんが言っていたのよ」
いつも目を伏せている楼座が太陽のように笑いました。
少女の母親は高齢で楼座を産んだので、早くに亡くなっていました。
夏妃は目を泳がせることなくじっと彼女を見据えていました。その表情はいつもと同じくかたかったのですが、何かを思考しているようにも見えました。
そして、彼女は楼座の頭に優しく触れます。
「そうね…となりに」
彼女は呟くとそのままゆったりと楼座の頭を撫でてやりました。撫でられる少女はきょとんとした様子で首を傾げました。
なんと言っていいのかわからなかったのです。

===

それから。時間があれば私は夏妃姉さんに会いに行くようになりました。
夏妃姉さんは無口でしたが私とはたくさん話してくれて、私がお願いするとたくさん撫でてくれました。
撫でられると何だか泣きたくなるような喉の奥に何かがつっかえたような不思議な気持ちが込み上げてきます。
その感情はとても苦しいものでしたが。…でも私は嫌いになれなかったのです。
だからひとりぼっちの私にとって夏妃姉さんはどこか特別な存在。

===

「夏妃姉さん、楼座が描いた絵見て!」
今日も楼座は夏妃に会いに来ました。憂鬱な表情を浮かべていた夏妃はきらきらと輝くような声に振り返り、
かたく固まってしまった表情を少しだけ和らげました。「あら…こんにちは」
夏妃はそう言ってから少女の違和感に気づきます。後ろに手を回して何かを、いや先程の言葉から考えて絵を隠しているようなのです。
(いつもは、すぐに渡してくれるのに…?)
不思議そうな顔をした夏妃の様子を見、満足げに楼座は絵を差し出しました。

「きれいですね。」
それはいつもと同じ構図で、いつも同じように幸せそうな絵。でもいつもとは違いました、夏妃は気づきます。
「これは、楼座さんと……。え?」
キャンパスの中の、色鉛筆で描かれた楼座の、その隣。手をつないで笑っているのは、

「夏妃姉さんだよ」


「だ、だって…。ここにはいつも、お母様を…」
呆けていた自分の心を揺すり起こしたとき夏妃は心臓が大きく鳴っているのを感じました。激しく動揺してしまいました。
何とか言葉をつむぎだしましたがそれは子供の話すようなたどたどしいものになってしまいました。
そしてやっと、夏妃は顔を上げます。
…楼座は少女は初めて二人で話したときのように、太陽のような、優しい優しい笑顔で夏妃を見ていました。

この時震えたのは身体だけではありません。
身体の力が抜けて私はその場にへたり込んでしまいました。楼座さんが驚いて私を支えようとしてか、触れようと手をのばします。
その刹那、私と楼座さんに影がかかりました。
「楼座」
その声の主が、この部屋に入ってきたことさえ。あふれ出しそうな涙をこらえるのに必死な私には、気づけなかったのです。
絵羽さんでした。彼女の作り出す影で楼座さんの笑顔が曇ってしまいました。少女はすぐに手を引っ込め取り繕ったような笑みを浮かべ絵羽さんのほうへ顔を向けました。
「なに…?絵羽姉さん」

絵羽さんは楼座さんをいかにも蔑んだような目で見ました。
「譲治ぃ、おいで。」絵羽さんは忌々しい彼女の息子の名を呼びます。「お母さん、なに?」とすぐ駆けてきた譲治くんを愛しそうに抱きしめます。
そして、彼女は私を見下ろしたままで、心底楽しそうに口を歪めて言いました。



「おままごとは、楽しい?」






(大きくなく声が聞こえなくなったと思ったら、蝉は老木の下で大きな猫に弄ばれていました。やがては食べられ死んでしまうでしょう。
おなかに詰まった七年後への夢と一緒にぷちぷちと、つぶれて。

それは残せない未来。
意味が無いなら、なぜ、生まれてきたの?)

一週間の続きを




********************

冒頭と最後のせみの話を聞いた女の子は、楼座でも夏妃でも絵羽でも、お好きなようにどうぞ。
命を燃やせずに殺されてしまった子供たちや大人たちがかわいそう、という話。
←BACK